女性:
子供に対して
「学校で楽しんでほしい!」
と願い、それが現実化したら
私は子供の「願い」と「現実化」
に、ある意味介入してることになりますか。
エイブラハム:
そんなことはありません。
でも、
子供たちに素晴らしい人生を
送ってもらいたい。
という願いに続けて、
先生の言うことを聞いて欲しい。
テストは全部Aを取って欲しい。
悪口は言わないでほしい。
病気にならないで欲しい。
ドラッグは絶対にやらないでほしいし
悪い友達と遊ばないでほしい。。
そんな考えが出てきたら、
「望まないこと」に意識をあて
自分の波動を乱していることになります。
子供たちの幸せや健康を願うとき、
あなた自身も自分の内面と一致しているべきで、
子供たちを心配する感情が生まれたら、
そういう状態ではないという証拠です。
もしもちゃんと一致していたら、
子供たちに向かって、
いつ、どんなふうにどんな言葉を
かけてあげればいいのか自然に
分かってくるし、そんなときのあなたの
言葉は子供たちの心に心地よく響き、
良い影響を与えるはず。
反対に、心配ばかりしている親は、
自分の内面との不一致のために波動が乱れ、
そこから生まれ出てくる言葉は
子供たちを混乱させます。
子供たちは、親が何をしていようとも、
自分たちで楽しむことができるし、
親の波動が乱れて苦しんでいるときでさえ、
自分自身の純粋な魂と無邪気に調和して
楽しくやっていくことができる。
だから、
子供に何か与えたいと思ったら、
まずはいい気分を整えて、
最初に本当の自分に戻り、
自分自身と一致する。
子供たちを誘導するのではなく、
自分のガイダンスを信じるように
導いてあげるのです。
「お母さん、どうしよう。
どっちに行けばいいのか分かんない。」
と子供たちが言ってきたら、
「あなたの心は分かっているはず。
自分で決めて行動したときの気分は
人に言われて行動したときのものより
ずっといいものだから、自分で決めてみて。
きっと大丈夫よ」と言う。
親が子供たちの人生を
創造することができません。
子供たちが自分たちの人生を
創造してゆくのです。
そんなとき、
あなたがしょっちゅう心配して
ネガティブな波動を出していたら、
悪影響でしかないのだから、
一歩下がって、
落ち着いてみてください。
エスターとジェリーはあるとき、
11階のレストランに座り
窓の外を眺めていました。
噴水や美しい木々、駐車場があり、
その向こうには、
なんと竜巻が見えたのです。
エスターは言いました。
「ここから見てみると、竜巻も
それほど怖いものでないみたい。」
木々が連なる並木道は美しく、
噴水も建物もそのままある。
遠くの方を見ると、
平穏さが見て取れました。
しかし、
立ち上がって窓の傍から
特定の場所に目を凝らしてみると、
竜巻が通った場所は
木は根っこから引き抜かれ、
パティオの椅子などもひっくり返っていて
大惨事になっている。
また一歩下がって見てみると、
視界の殆どは平穏な風景になってしまう。
こんなふうに、
あなたが心に平穏を欲しいのであれば、
一歩下がって、詳細は見ないこと。
たとえば、
暗いニュースばかり見続けない。
「いい気分になること」
の大切さをついつい忘れてしまうとき、
いつも状況に近づいて、詳細を
まじまじと見てしまうものなのです。
女性:
時々、自分が時勢についていけないと思う
ことがあるけれど、
私はまさにその理由から、
ニュースを見ることはしていないし、